田中幹人

科学的な報道には、事実を伝える「レポーティング」と、事実を追求する「ジャーナリズム」の2種類の役割があると思います。「ガーディアンやニューヨークタイムスに比べて、日本の記事はダメ」という批判がありますが、日本の科学関連の原稿は「レポーティング」については、うまくいっていると考えています。 調べてみると、日本語で読める科学の記事の量は、単一言語としては、圧倒的に多く、新聞でも一番メインの記事では、科学的な成果を分かりやすく伝えています。研究成果の“翻訳”はうまくいっていると考えます。 ただ、新聞でも、社会問題を扱う記者が、科学の問題を論じたりすることがあり、科学的な視点も含めて、社会的に適切な選択をするための議論はうまく誘導できていないと思います。 テレビや地方の新聞では、科学を専門とするセクションがないことも多い中で、事実を追求し、複雑なものを複雑なまま、転写して伝える「ジャーナリズム」の方は、機能が衰えていると思います。水俣病やBSEように、結果的に当初のマイノリティの意見の方が正しかったにもかかわらず、外から見ると多数決で決まったように見え、少数派の意見は存在しないように、受け取られてしまうことが起きています。